医学者であり博物学者のフィリップ・シーボルト(ドイツ)はオランダ領東インド陸軍軍医外科少佐として1823年(文政6)に来日しました。
シーボルトは他のオランダ人には与えられない調査・研究の便宜を得て、出島を出ることを許され、ついには鳴滝塾をつくり、長崎に留学していた多くの日本人青年に医学と自然科学の目を開かせました。
シーボルトは6年滞在、オランダ商館長の江戸参府にも随行し、動植物の採集や江戸の文化人とも交流します。
帰国に際して日本の地図の持ち出しが発覚して追放処分になりますが、後年また幕府の招きで再来日し、その間20冊ほどの『日本』という膨大な研究所を著わします。
『日本』にはあらゆる分野のものが網羅されていますが、日本人に関して、イギリス人のように文化があって形式と外面を重んずる国民に対しては、日本人は威厳とヨーロッパ風の光彩とをもって対抗し文化の進歩を示していると書いています。
日本人はことに生国をこよなく愛し、祖先についても尊敬を払っている。
従って歴史と伝統に限りない崇敬をもっているし、日本人の生活法、風俗、習慣、宗教というのはヨーロッパのものと異なっているので、ヨーロッパのような様式を強制することは全く無意味であり不可能である。
日本に対して武力や威圧によって近づいてはならないし、開国を求めてはならない、その国体、国情の変化を求めてはならないと言いきります。
日本を理解し愛した人間に共通するのでしょうか。
ここでシーボルトも日本の平和と鎖国を評価しています。
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