軍艦ディアナ号の艦長として、アジア海域の調査中、国後島で日本の捕虜となったミハイロビッチ・ゴローニン(ロシア)は、函館と松前で2年以上の監禁生活を送りますが、ロシアの捕虜となっていた高田屋嘉兵衛と交換に釈放され帰国します。
その釈放交渉にあたったのがピョートル・リコルド(ロシア)海軍少佐で、釈放交渉のため1812年(文化8)と翌年の2度にわたって来日します。
少ない情報のなかでゴローニン釈放までの道は困難なものでしたが、高田屋嘉兵衛との出会いによって解決へと向かいます。
嘉兵衛のことを、神意によって我々の許に送られた人物だとまでリコルドが書いたほど、2人の粘り強い努力と信頼関係と友情によって、やっと釈放までこぎつけたのでした。
リコルドは嘉兵衛を通して、それまでの日本人に対する悪いイメージを払拭することができ、手記のなかでこう書いています。
文明化したヨーロッパ人よ!あなた方は日本人を狡猾で、凶悪で、復讐心が強く、甘美な友情などには無縁なものだと考えているが、それは間違いである。
あなた方は誤解しているのだ。
日本にあらゆる意味で人間というこの崇高な名称で呼ぶにふさわしい人々がいることを知らないのだ。
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