ルドルフ・リンダウ(ドイツ)は外交官。
1859年(安政6)にスイス時計組合から派遣され、スイス通商調査派遣隊の隊長として来日しました。
のちに訪日するエメ・アンベール率いるスイス通商使節団の先遣隊の役目を果たすためでした。
リンダウはこれを含めてめまぐるしく変わる幕末の情勢のなか3度来日し、3度目は条約締結後のスイス駐日領事としてきたのです。
リンダウは日本や日本文化を理解し、日本の庶民に対する愛情は真心がこもっており、遠出の折立ち寄った金澤の民家で受けた歓迎ぶりを描く文章に、そのことがよく表れています。
日本人の生活はオープンである。大らかである。神と木の文明においては、日本人に優るものはないと言っています。
リンダウはオランダに指導された日本の工業化を見て、イギリスの産業地帯に匹敵するような発展をそのうちに遂げるだろうと予想し、それに必要な知力、活力、忍耐強さを日本人は備えていると指摘しています。
リンダウの見聞記は、その後の日本に関する文献や見聞記に頻繁に引用され、その深く捉えられた日本人のイメージが、やがてフランスを中心に流行したジャポニズムの火付け役を果たしたと言われています。
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