⑫ラザフォード・オールコック(イギリス)

 ラザフォード・オールコック(イギリス)は医師で外交官。
英国軍医として勤務する間、極東に関心を抱き、清国に渡り上海領事などを歴任したのち、駐日総領事として1859年(安政6)に来日します。
のち領事から公使に昇格、幕末の逼迫した状況のなか、ヨーロッパ列国公使の対日外交の主導的地位を占め、1864年(文久4)、列国艦隊を率いて攘夷派の拠点長州を総攻撃しますが、イギリス外相の承認が得られず解任され帰国。
動乱の幕末に初めてイギリス代表として駐在した見聞記は『大君の都』という著作にまとめられています。
外交の第一線に立ち、幕府役人たちの要領の得ない風を装って問題の核心を避ける態度にいら立ちながら、一旦町へ出ればオールコックは明るい顔で質素な生活を送る庶民の姿や日本の風景の美しさに、西洋的価値とは別の新しい発見を求めました。
中までよく見えるあけっぴろげの多くの家々、最低限の家具に囲まれ、小さな清潔な部屋で膳を据えて食事をとる姿や職人たちの仕事ぶり、横浜へ行くときは市街地を離れて農村の風景を楽しみ、急な斜面にきれいに開墾された棚田、朝早くから働く農民たちの姿に触れます。
肥沃な土地といつくしい風景に恵まれ、満ち足りた顔をして暮らす人々を見て「ああ、幸福な土地よ、楽しき国よ!」とオールコックは叫ぶのです。
大英帝国を背にしたイギリス公使として日本に対するオールコックは「強者」としての姿勢を崩すことはありませんでしたが、しばしばその隙間から、自ら持ち込んだ西洋的価値に疑問を投げかける行動に出ました。
外国人として初めて富士山への登頂を果し、遣欧使節を組織し日本人自身をヨーロッパ外交の現場へひっぱりだし、愛してやまなかった日本の芸術作品を選びサウス・ケンジントンの万博に送りこみます。
これがヨーロッパを熱病のように席巻したジャポニズムののろしとなり、オールコックの名は、彼が外交官であることを知らない人の間でもジャポニズムの祖として名がとどめられているのです。

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