平成の時代に入って、寛容さが見失われているとみられます。その表れが騒音に対するクレームです。園児の出す声や音が騒音であるという地域住民のクレームが各地に起こっています。そのほか、集合住宅の生活音や運動場の掛け声、除夜の鐘、風鈴の音なども騒音と言われています。この風潮には見過ごすことのできない危うさがあります。
わが国は、少子高齢化が著しく、その一方で都市住民の過密化が進んでいます。その状況のもと、これまでの社会的な秩序や生活の仕方が揺らいでいます。生命が軽視され、痛ましい出来事が連日報道されています。その根底には世代間や職種間の対立や格差の広がりがあります。そのなかで、物事を一方的に決めつける不寛容が広まっているといってもよい。考え方や行動の仕方、言葉の使い方などに対する不快感や嫌悪感がそうさせるのです。その多くは身の回りの出来事です。そこには善悪の価値観はなく、寛容さに含まれる忍耐とか許容とかいうことは認められません。好悪の感情がすべての基準です。
人と人との関係は、インターネットを通しての間接的なものになりつつあります。生身の人間同士の付き合いは限られた範囲にしか出来なくなっています。それでよいのか、都市の片隅に暮らす、ひとりひとりが、自然と共に生き、共に生み出し、共に幸せに生き、そして共に和むという、わが国の伝統を改めて見直すことが大切ではないか、と痛切に思うのです。
ヨーロッパに始まった寛容という言葉は、主として、異なる宗教や民族に関して、相互の見解や立場を受け容れることを意味します。国連の寛容基本宣言では、「多民族・多文化社会において民主主義の根本原理のカギになるもの」とされています。現在の世界を見ると、政治的・経済的対立の背後に民族や宗教の違いについての寛容さの欠如が横たわっています。それに比べ、わが国はこの自然のもと、神道と仏教は共存してきました。
現在はキリスト教やイスラム教の信徒なども存在します。人と自然の調和を基に、民族や宗教の融和を図るのが日本の役割でありましょう。その実現を心より願っています。
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