113) 日本2018ジャパネスク・・・あなたと日本の話をしてみたい・・・ Vol.3

昭和は戦災の時代でした。戦禍の記憶も次第に薄れようとしていますが、今年は、戦争末期の惨状から70年目にあたります。わが国が始めた第2次世界大戦は歴史にない甚大な被害をもたらしました。戦没者は、閣議決定によると約310万人に及びました。
昭和20年3月10日の深夜、東京上空に飛来したB29爆撃機が、約2時間で33万発以上の焼夷弾を投下しました。江東区・墨田区・台東区から千代田区や江戸川区にかけての広い範囲が焼け野原となりました。一晩にして10万人が死亡し、罹災家屋は27万戸にのぼりました。翌12日からは4度にわたる名古屋の大空襲、13日から8度もの大阪の大空襲。そして、8月6日には、広島に原爆が投下されました。当時の広島市の推定人口35万人のうち9万~16万6千人が死亡したとされます。8月9日は長崎市への原子爆弾投下。当時の長崎市の推定人口24万人のうち約7万4千人が死亡しました。
さらに、最大の被害を被った沖縄戦は、3月26日の慶良間諸島米軍上陸から始まり、6月23日に、司令官自決をもって日本軍の戦闘は終結します。しかし、正式に降伏調印式が執行されたのは9月7日のことであります。摩文仁の丘に並ぶ慰霊碑には沖縄戦で亡くなった数十万人の名前が刻まれています。
平成は天災の時代です。わが国は、打ち続く地震や噴火、台風や洪水などの災害によって国土は危機に陥りました。戦後50年にあたる平成7年、阪神・淡路大震災が起きました。その後も平成12年の鳥取県西部地震、平成16年の新潟県中越地震、平成20年の岩手・宮城内陸地震、平成23年の東日本大震災、平成26年の長野県神城断層地震などが各地で発生しています。ことに、東日本に起きた世界的規模の自身は津波を伴って大災害をもたらしました。原子力発電所の壊滅状態は、現代の科学技術は自然の猛威に対して無力であること改めて明らかに示しています。
また、平成26年に発生した御嶽山噴火は、日本国内において噴火災害で死者を出したのは、平成3年の雲仙・普賢岳の大火砕流以来となり、死者数も雲仙・普賢岳を超え、戦後最悪となりました。平成30年には草津白根火山の本白根山が3000年ぶりに噴火しました。つい最近でも、九州霧島連峰の新燃岳の爆発的な噴火、活発な噴火活動がいまも続いています。。
東日本の大震災は、自然と切り離された現代社会の繁栄がいかに脆弱であったかを根底的に明らかにしました。国難というべき噴火や地震は、人の制御を超えた自然の威力を目の当たりにさせました。この国に暮らす私たちは、天災の起こるたびに、共に悲しみ、共に苦しみ、共に助け合い、共に生きてきました。
いま、大都会に暮らす私たちは予知できぬ大地震におびえながら、自然と人、人と人が共に生き、共に幸を分かち合う心情を見失っているように思えてなりません。

平成30年3月13日

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